この作品は、私が大学3年のころに作ったインスタレーション作品で、「キミドリの部屋」もこの作品がきっかけとなり、できあがりました。いわば、私の原点となる大切な作品です。写真中央に置かれた小さな配電箱の中にはテープレコーダが入っており、テープからは私が小さい頃に演奏したピアノの 音色が流れています。この作品は幼き頃の記憶をたどる装置として制作しました。
黄緑色は、私の子供部屋のじゅうたんの色です。その黄緑色のじゅうたんの上でたくさんのものをつくりました。この作品は、純粋にわくわくして創造していた気持ちを思い出して描きました。異様に小さな白いトラといつでも出られそうなヨレヨレのオリは、この作品を制作していた時の私の気持ちを表しているのかもしれません。この作品は、「キミドリの部屋」シリーズの原点になる作品です。
「眼のある風景」は、靉光の代表作と同タイトルです。靉光は、私が芸術家を志すきっかけのひとつを与えてくれた人です。この絵は、画面全体を黄緑に塗った上に、油性マジックで、ドローイングをたくさん描いてあります。そのほとんど自分でも解明できない小さなイメージの上に、対峙色の赤が塗り重ねてあります。私が小さな頃に持った無意識的に創造を楽しむ感覚が黄緑色(カドミウムグリーンライト)、その感覚に立ち現れる現在の意識の壁が赤色(カドミウムレッドライト)です。黄緑色は子供部屋のじゅうたんの色で、そこで小さい時、たくさんのものをつくりました。そして、この色は、立体的な表現から、絵画を描きだすきっかけを与えてくれた色でもあります。油性マジックは上から油絵具を塗っても、乾くとぼんやりと浮き上がってきますが、何度も無意識を確認するかのごとく、上から赤を塗り重ねた結果、ほとんどドローイングは見えなくなっています。無意識として意識に浸食されていないぽっかりと空いた新たな可能性を秘めたところが黄緑色の部分です。自分でも意識できない部分とできる部分が共存し、常に動いている感覚。この作品は、私の脳の中身を描いたようなものです。また、靉光の絵の画面中央にある不気味な緑色の瞳が見透かしている私自身の姿が、ここにあるのかもしれません。
* 2001年 「第6回 昭和シェル石油現代美術賞」 本江邦夫審査員賞 受賞作品
この作品「キミドリの部屋」は、私の幼少の頃使っていた子供部屋がモチーフです。黄緑色は、私の遊び場だったじゅうたんの色です。そこで絵を描いたり粘土で人形を作ったり、ダンボールの家を作ったり・・・。何ができるのか、初めての体験にわくわくしながら、いろんなものを作りました。初めての行為とは、とても印象の深く強いものであると思います。そして大人になるにつれて初めての体験のような感覚はなかなか少なくなります。子供の頃の極めて限られた行動範囲のなかで、自己の世界を完全に信じられる時間は、幼少期、それもとても小さな頃に限られたことだと思います。その時にしかない痛烈に感じる動物的ともいえる強さ、鋭さがあり、下手や上手の基準は純粋に自己の感性にまかされているものでした。大人になり知識を吸収し、本格的に美術を志そうとするなかで、ふと自分の表現すべきものを見失った時、私は、その<キミドリの部屋>に助けられました。私の記憶のなかにあるその部屋は「好きなように描けばいいのさ。あの頃のように。」と、私自身を励ましてくれるようでした。
この作品は文字通り、孤独な作品です。個展の時もお蔵入りになり、公募展でももう一つの絵が選ばれたりと、どうしてもほかの作品と合わない。それもそのはず、ほかの作品とは根本的に成り立ちが違います。ある孤高の人がモデルになっているのです。大学在学中の私はそれまで、孤高という言葉を意識したことはありませんでしたが作品を作るときに訪れる孤独という感情には、常にへこたれそうになっていました。「かけはなれて高い境地にいること。ひとり超然としていること。」孤高の人とは、そんな人だと。その人の小学生の頃のあだ名はペンギン。しかし優秀であることで、あだ名はそれ以後つかなくなった。キミドリの部屋で、かわいらしいペンギン達は群れをなし同じ方向を見ています。やがて、一羽のペンギンは別の方向を向きました。そのペンギンは、皆と一緒にいられなくなりましたが、飛べなかったペンギンはユニコーンとなり、創造の世界で自由に羽ばたくようになり、ペンギンの世界へ遊びにきています。みんなと一緒なのだという思いから、孤独が不安となり訪れるのかもしれません。本当は、皆はじめから孤独で、驚くほど違った考えを持っている個人。孤独を知り、それを超越したところに、孤高はあるのかな。